「机に向かう」というとき、机の上には本かノートか教科書か、何かの成果物か、これから成果物になる何かがあるはず。
机の上にも下にも何もなければ、おそらくその机そのものが成果物であるか、これから成果物になるか、の状態にあるのだろう。
「机上の空論」というとき、机の上に何かが置かれているわけではないし、空について書かれたレポートが関係してるわけでも、もちろんない。
机に向かい続けた結果をまとめて報告しろ、と言われてそれらしく書いてみたが、まったく何の役にも立たなかったというものらしい。
けれど、そういうことはよくある。机に向かえば必ず結果が出せるというのはただの根性論である。
「机上の上に」と言う人が時々いて、聞いた人の何人かは間違いに気付くのだが、気付かない人もきっとたくさんいる。間違いであると分かっても、意味が通じてしまうのでそのまま流されることが常となっている。だから、その言い間違いは何歳になっても修正されない。
いつか、思ったことはすぐ口に出してしまう人と出会ったとき、ようやくその間違いに気付かされるのだが、ああ恥ずかしい、穴があったら入りたい、とすら感じられない良い歳をした大人になっていることだろう。
「机上整理」というとき、問題は机の上にあるのではなくて、 机のひき出しであったり、机の近くに並べて置いてある本棚であったりする。それらが机上のあれこれを引き受けられる状態になっていれば何の問題もない。机上のあれこれはただそこに向かうだけでことは済む。
「机上の上整理」と言う人には未だ出会ったことはない。
机上整理された広々とした机に向かえばやる気が湧いてきて、勉強がどんどん捗るよ、というのは、もちろん机上の空論である。
山人(sanjin)@飛ぶコタツ