飛ぶコタツ

妄想の空をどこまでも…

熟す実も枯るる葉も同じ枝にあり

今年の八月の末に作句を始めました。
以来一か月半ほどが過ぎますが、一日一句詠むのに悶々としつつ、創作意欲が薄れるにはまだ至っていません。
俳句を詠むってなかなかに面白いです。
音楽やラジオを聴いたり、スマホを見たりしていた通勤の途中に、今、考えているのは、ただ俳句のことばかりです。
スマホを見る時間は減りました。
イヤホンに流れる音楽は思考を邪魔しない歌詞のない曲に変わりました。
そして、街路樹の葉の色、空の色、雲の形、緑地帯に咲く花、川沿いの小径に生える野草の表情、こうしたものに目が向くようになりました。
駅から職場まで歩く時間が少し長くかかるようになりました。

 

 

コスモスを撮る我急かす蜂と蝶

季語は「コスモス」、秋の季語です。
が、念のため歳時記で確認すると、「蜂」と「蝶」も季語でした。
なんと、春の季語です。
どちらも、四季を通して見られますが、蜂も蝶も
蜜を吸いにやってきて目につきやすくなるのが春なので、春の季語なのだそうです。
そもそも、「花」は春の季語、「月」は秋の季語と決まっているのですから、蜂も蝶もそれに従わないと仕方ないです。
ですので、この句には季語が三つもあります。
しかも、季節は秋と春が混ざっています。
どうしようもない「季重り」ですが、ほかの虫に変えると印象が変わってしまいそうで、変えようがありませんでした。
どう詠めばいいのか分かりません…

 

今日だけは見たくなかった曼珠沙華

季語は「曼殊沙華」、秋の季語です。
曼殊沙華の花が枯れると、花も茎もあまりに残念な姿になります…

 

落ち葉降る秘密の小径隠すごと

この時期すでにたくさんの落ち葉を目にしますが、「落ち葉」は冬の季語です。
この句に詠んだ秘密の小径は、森の奥へと続く小径を思い浮かべました。
生き物たちが最期のときを過ごす場所が森の奥にあるはずです。

森の奥小径隠すごと落ち葉積む

と、はじめ詠みましたが、意味が通じないと思って改めました。

 

枯れてなお最後の一葉枝にあり

古語(文語)では、枯れるは枯るになり、「枯る」は冬の季語です。
「枯れる」も冬の季語かな、と考えましたが、わたしの持っている歳時記には載っていません。
次の句の季語も同じく「枯る」です。
最後の一葉を俳句に詠みたかったのです。

 

熟す実も枯るる葉も同じ枝にあり

熟すと枯るは似ている。というか、同じことかもしれない、と思って詠みました。
枯れていくのではなく熟していくんだ、という思いを込めて。

 

 

 

もし、お心に留まった句がおありでしたら、コメントいただければ幸いです。感想をいただくことで、たくさんの気付きを得ることができます。
また、いただいたコメントをブログ中で紹介させていただくことがあります。どうぞご了承くださいますようお願いします。

 

 

 

① コスモスを撮る我急かす蜂と蝶

 

② 今日だけは見たくなかった曼珠沙華

 

③ 落ち葉降る秘密の小径隠すごと

 

④ 枯れてなお最後の一葉枝にあり

 

⑤ 熟す実も枯るる葉も同じ枝にあり

 

 

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山人(sanjin)👣@飛ぶコタツ